まりにっき

まりにっき、お引っ越し。

じわっ…

今さらだけど、「買いだめ」ってなんだったんだろうと思う。というのは、悪意というか、不必要とわかって「これは買いだめであるが他人のことはしらねえよ」と思いながら買った人なんていったいどれほどいるのだろうか、ということで、たいがいの人は、必要感に迫られて(本当にイマ必要なのかどうかというのが、微妙なんだけど)買い求めた結果なわけで、やっぱりちょい後付けで非難することはできても、現在進行形の時に止められる術はないのかもしれない、というのがとりあえずの感想。
だってシンプルに、1人暮らしならばカップラーメン10個って食えるのかよ的な量だけど、食べ盛りの子どものいる4人家族なら食事2回ちょいだしね。ということで、今後も災害時には同じようにちょいパニを繰り返すんだろうと思う。パニらない程度に食料の安定的備蓄を心がけよう。といっても忙しい日々ではそれも怠慢になりがち。
うちは私が帰宅難民で翌日帰りしてるうちに、買い出し競争に参加放棄したクチなので(冷静な判断のうえで買わなかったかもしれないが、当時そんな判断をするヒマもなく、物が消えた状態だけを眺めたという意味)、なんというか非難も文句も言いようがないって感じだけど、電池と懐中電灯は一瞬不安になった…。大きめの懐中電灯がうまく点灯しなくなっていて、実家に頼んで送ってもらったクチで、実家は総力を結集してがんばってくれたりしたので、停電騒ぎが収まるころには微妙に多く集まっていたという、よくあるパターンすぎて泣ける。
これだこれ、この集積なんだよ「買いだめ」というのは…と思いつつ、自分がそうだから自己弁護という意味ではないけど、事態のプロセスとかその場所なりの切迫感とかわかる気がするので、買いだめを単刀直入に責める気にはなれないなあ。
ただ、まあ、手に余る程度だけど支援に使うほどの量ではない電池とか(小さい箱にもいっぱいにならない)、どうしたものか、備蓄として置いていてもいいけど、でも…ということで、忸怩たるじくじくだったのです。
ママ友がある被災地出身で、あるときテレビで「まだ物資が足りない」というニュースを見たので、思い立って提供できるかどうかを相談したところ、ご実家をつうじてある避難所に届けていただくことができたということで、少量のためにお手間をかけさせて申し訳なかったんだけど、なんだかとても、気持ちのある部分が清算できたような、ある程度みえるところに使っていただけてよかったというような、つまり離れたところにいる自分にとっては支援とかもあくまで自分問題なのだなあというか、そんなことをいろいろ思いました。
いろいろ思っていると、無力さとか、カケラのチカラのこととか、自分の気持ちのこととか、想像力についてとか、ぐちゃぐちゃで泣けてきた…という、深夜です(また子どもと一緒に寝てしまったので…)。