まりにっき

まりにっき、お引っ越し。

ひととの距離

今年度から、授業をさせてもらうようになって、コミュニケーションがどうだ、ダイアローグがなんだと、言ったり考えたりしたのです。
でも実は、私にはそのへんが体感できている自信がない。
というか、自分自身はそうゆうのを、かなり避けたいタイプの人間である。
けれども世捨て人にはなれないので、ひーん苦手なのににゃあとか言いつつ、コミュニケーションをはかったり失敗したりを繰り返して生きるほかないのです。
三浦大知のBlack Holeという歌…Nao'ymtの歌詞とゆうべきか、そこに
♪正体知りたい、さあ距離を縮めよう
というフレーズがあり、ふうん他人との距離って、「さあ」って呼びかけれるもんなのか、おもしろいなーと思ったのですが、
考えてみたら、お見合いの席とかって、「さあ、あとは若いおふたりで(距離を縮めてね)」だし、
パーティーとかも「さあ、それでは皆さまご歓談ください(距離を縮めてね)」というわけで、
そこで「さあ、お話ししましょう」ってなるのが、
♪さあ、距離を縮めよう
なのかしらね。とか。
そうすればやはり、私にはそこでおしゃべりができないので、距離を縮めよう、できないのです。
でも、なんか最近、それもいいかなあと思うようになりました。
授業で、教師をめざす人たちを見てるわけだけど、当然、明るくまじめな方ばかりではなく、しゃべるのが苦手な人たちもいる。
でもその人たちだって、じっくり考えていたりもするし、しゃべるの聞いてたら、いろんな考え方や、間合いがあって、勉強になります。
しゃべるのが上手な人ばっかりが教師になる必要もないと思う。子どもが人生の最初の頃に出会う大人が、みんなぴしっと要点をしゃべれて、時間内に授業でしゃべり終えるのって、ぷ、プレッシャーやん?もたのたした大人がいてもいい。
そして私は、しゃべるのが苦手だから、そんなことを相対的に見れて、よかったなあと思うこともある。
やっぱり、うまいコミュニケーションでもって
♪さあ、距離を縮めよう
とはいかなくて、のたもたしながら、試行錯誤も含めて、距離は縮まるか、心はつながるか、みたいなことをやるしかないなあと思いました。たまにはやらない、というのも含めて。