まりにっき

まりにっき、お引っ越し。

怖れるを形容する

だいぶ以前から、
「正しく怖れる」という言葉にかなり抵抗があり、
なにを偉そうに、デコピンしちゃうよ(`´)
と思っていたのですが、
最近、言いたいことは若干わかる気がしてきました。
少なくとも、なに(誰)に対して言いたいのかは。
そして、言いたいことはいくぶんか当たっているとも思うので、
デコピンやめときます。
しかしやっぱり、偉そうにというか、穏やかでないというか、
正しさを持ってかれるのは不当だという気がします…。
正しく怖れるVS間違って怖れる
って、一方的な価値判断すぎるでしょう?
なので、ほかの怖れ方を考えてみました。
しなやかに怖れるVSリジッドに怖れる
ゆるく怖れるVSきびしく怖れる
可変的に怖れるVS断固として怖れる
クールに怖れるVSホットに怖れる
などなど。
怖れるというのは、つまり感情、感覚の問題なので、いくら客観的、中立的な指標をたてようとしても、限界があると思います。
のみならずそこには、客観的、中立的という言葉を突き崩す契機もある。
痛みと一緒かもー。
偏頭痛とか、正しく痛みましょうとか言われたら、かなりデコピンものです。
話がそれそうなので、ここらへんでやめます。
正しいかどうかは知らないが、私の正直な気持ちは、しなやかに可変的に、断固として怖い!ってとこかな。