まりにっき

まりにっき、お引っ越し。

またバスの中で考えた

8月、3度めの飯田行き。今回は新宿からバス。1泊ってもう旅のうちに入らないですね。
前回の出張は、得たものがすごかった。師匠やっぱりとてつもなかった。あらゆる意味でかなわない。考えることが多くて泣きそうになった。
リアルで私が最近抱えていた課題と、リンクしたせいもある。
先日から、民主主義の限界というか、対話の不可能性というか、要するに話の伝わらない世界に疲れていた。
それが保育園がらみだったので、いろいろなことを考えた。
以下箇条書き:
・子どもは人質ではない
・保育士さんの待遇がよくないのは、理解すべきだ
・でも私たちのせいじゃない
・私たちは保育に関して、単なる消費者ではない
・けどサービスを受ける権利はある
・そうだ、望む人すべてがサービスを受ける権利はある、確かにある
・現実にはそうではない
・しかしだからといって、受けている私たちが卑屈になる必要はない
・ましてや、ありがたがるようにと園にいわれる筋合いはない
アカウンタビリティという言葉を教えてあげたい
・尋ねるだけでいやみを言われる世界ってどんなんだ
・なんだかとってもアンバランスだ
・愚痴はきらいだけど事態の展開のしかたがわからん
・それもこれも、パイが少ないからだ
・パイをもっとよこせ
・ていうか、アップルパイかブルーベリーパイか、選べたっていいはずだ
・本当は公的な資金がふえるべきだ
・と言い続けて何年?いっこうにふえないじゃないか
・いや増えてるらしいぞ、でももっと、働くママがふえてるんだ、働くじいちゃんばあちゃんもふえているよ
・もっとパイをよこせ
・しかしみんなパイが食べたい、保育にばかりパイをあげるわけにはいかない
・…といって目減りしていく公的補助
・悪化する労働事情
・保育園に入れない人もたくさんいるのですよ、不満をいうのではありません
・ぐーるぐる
・抜本的にかえなくてはいけない
・いっそ市場原理を入れてしまえばいいと思う、せき止めきれずチョロチョロ漏れこむみたいに入ってくるから営利追求が問題になるのである
・だーんっと入れてしまえばいいのであるっ
・そうすれば、しょもない保育園は淘汰されるはずである
・淘汰されちまえばいいのである
・Ψ(`∀´#)ウヒヒ
とまあ、こんな感じで、おだやかでない脳内、ギザギザの感情線を抱えていた。
ていうのが、静かに、深いところから、諭されたような気持ちになった。
こないだ別の人とちょっと議論になったけど、権利論では立ち行かないと思う。だって待てないもんうちら。
権利論がうちらに何をしてくれたというのか。うちらは権利論を主張して、何を得たというのか。
しかし。
だからといって、市場原理の導入に無防備になるのも、それは浅はかというものだ。
増えればいいってもんではない。淘汰を呼ぶとして、そこで守られるべきは何か、私たちひとりひとりの理念が問われる。
私たちは、とりあえず保育を受ける側(受ける子の親の側)として、何を求めるのか。そのために私たちはどうふるまうのか。
絶望を安易に語るな。
希望を手放すな。
そうゆうことだ。
私は、とにかく与えられたポジションに対して、もっと誠実になろうと思った。
Ψ(`∀´#)ウヒヒってなんの、もうやめようー。
…はっ、すごいいっぱい書いたかも。長文失礼。まだまだ考えたことはあるけど、いったんしめよう。またね。
ぱたん。