まりにっき

まりにっき、お引っ越し。

橋下市長発言一件、もっと考えた

橋下市長の発言一件、もっと考えた。
ずっと不快感があってもやもやしてるし、不快感の根元を自分なりに納得したいし、擁護する意見も非難する意見も、部分的に同意するけど部分的にしっくりこないし。
まず、ちょっとだけ彼を擁護する。
歴史的にものをみる、というのは、「当時(おそらく)こうであった」という解釈に、現在的価値観を、即座には差し挟まないということである。
発言たちをなるべく切り取らずに読めば、彼はその手続きをふんだにすぎない、と思える。当時はこのような認識がなされていた、と。現在的には慰安婦は許されない、と言っているのだし。
また、現在の(合法的な)風俗産業についても、「職業選択の自由」が機能しているという前提で彼は言っているのであり(憲法遵守ね、なんて)、この前提が成り立たないなら、風俗産業そのものを見直さなければいけない、という予防線もはっている。
だから、「慰安婦制度を肯定しさらなる痛みをおわせている」とか「女性を性の道具と考えている」という批判は、たぶんどこか的外れだ。
少なくとも彼には届かないし、「建前論」のレッテルを貼られるだけだ。
この届かない感じが、私は気になる。届かないうちに、議論は頑なになっていく。肩凝りもする。
彼の発言はたいへん論理的だし柔軟だ。隙がない。
なのになんで、自分のなかにこんな「違うぜ」感があるんだろう。
すると結局、論理構成ではなくて、それ以前の部分、「本音」と彼のいうところが、「違うぜ」ってことだと思う。
つまり、彼の認識の前提にある、「オトコってそうゆう生き物なわけよ」的な、「3年目の浮気ぐらい大目にみろよ」的なそれ、ひらきなおるその態度が気に入らないのよ。
「オトコってそうゆう(どうしょうもない)生き物だ」と言って、「そんなオトコを包んでくれる女性はマドンナ」だから、バカにはしてない、むしろ尊敬、とでも言うんでしょうが。
問題は、それが真実だと公言してはばからず、そんなん嘘だと思った相手には「建前だ」とか「モノを知らない」とか、要するに「カマトトぶってんじゃねえよ」とこき下ろす、そういう思考回路そのものである。
それを女性蔑視だといっても納得しないだろう。根っこにあるのは啓蒙主義、っつかコロニアリズム(植民地主義)だ、といった方が、しっくりくる。
歴史的にみて、コロニアリズムがマッチョなオトコ論理で回ってきたことは、すでに指摘されている。そういう意味でいうと、女性を蔑視してるつもりはなくても、男性的じゃないもの(イコール女性的なもの?)を軽視するのは、当然のなりゆき、なれのはてだと思う。
世の価値観は、男性的なものだけでできているのではない。私(たち)の違和感は、無知や建前の産物ではない。「なにその欲望だだもれ、恥ずかしい」という本音である。
本能だから恥ずかしいのではない。私には、「オトコってそうゆう生き物なわけよ」の方が、ステレオタイプな見苦しい建前論に思えるし、進歩のなさをさらけ出しているように思えるのだが。

厄介なのは、私たち自身の中にも、コロニアリズム的な思考回路はずいぶん内面化されていて(それだけ根が深いということ)、他者のマッチョを言いつのれば、自分のマッスルがズキンと痛む…ということだ。
だからこそ橋下市長は、コロニアルな挑発を繰り返す。なんか彼は、筋トレでもしてるみたいだ。非難の声は負荷だ。
ここまで書いて、どうして維新の党がああいうメンツでああいう路線なのか、すごくわかった。橋下氏は、石原前都知事の正統な後継者なんだ。高尚な思索ではなく露骨な欲望の発現に価値をみとめ、そこに啓蒙主義をもちこむ点において。
で、私が言いたいことは決まった。「なにその欲望だだもれ、恥ずかしい」
この言葉を向けたい相手は、じつはいっぱいいる。