まりにっき

まりにっき、お引っ越し。

保育がやばいという話と、つい熱心になる自分の話

先日、保育の新システム導入についての勉強会があって、
私はずっとひそかに関心を持っていたので、子どもの保育をお願いして参加したのですが、
ふたを開けてみれば同じ園の保護者参加は2人しかいなくて、
なんか…だいじょうぶ?っていうか、
そーかここは某大学院の某研究科と違うのかというか、
そーかここは某市の女性史編さんグループとも違うのかというか、
そーかここは某市の歴史研究機関とも違うのかというか、
とにかく生活に密着する問題についてなら、
子どもとかつれてったり預けたりしても勉強するのが当然、というわけではない…。


それで、私としてはその保育新システムの話を聞いてとても危機感をおぼえていて、
聞いた話リピートするから勉強会しようよとか誘ってみたり、
どうせなら話しやすくしたほうがいいとレジュメ作ってみたり、
えんちょーさんが全体でも勉強をしたいというからそのレジュメ持ってって長話したり、
結局すごい熱心なひとみたいになっていて、暑苦しい感を与えてないかと逆に気になったり。
単純に勉強やレジュメ作りに時間使って疲れてたり。
たぶん本当のところ、ついつい熱心になってしまうんだと思う。
しかしですねお母さん(もちろんお父さんもお子さんも)、
これは間違いなく保育の「崩壊」だと思うのよ。
現在の介護システムとか「障害者自立支援」が良い形だと思う方にとっては、
「改良」かもしれないけど。


教育基本法「改正」の時もそうでしたが、
態度を明らかにするとどうしても特定の政党を支持するしないに直結してとらえられる、
それは違うよね、ということを、えんちょーさんと話していて、
毎日の保育方針とか、ちょっとずつたぶん彼女とはずれていて、
そこで毎日のように悩んだりするんですけど、
ここでほぼ初めて、ものすごい理解しあった気持ちになって、
ほかにも意外なこと、
たとえばうちの園の原型はあの「ポストの数ほど保育所を」時代にあるのだとか、
じつは病児・病後児保育を実現しなければと思っていることとか、
(ちょっとでも怪しいとすぐに帰されるので、保護者間では不満たらたらであるが、
 ほかの家庭の就労確保のためにやむをえないと、その言葉を聞いただけでも印象が違う)
聞いてよかった話がたくさんありました。


では現状の、保護者との、認識のものすごい差はなんだろうというか…
ディスコミュニケーションぶりはなんなんだというか…歯車がかみあっていない。
じつはここを変えるだけでも、相当ワークとライフのバランスは楽になるという予感。
(この場合のlifeはやっぱり生命だと思う…)
このディスコミは、保育の抱える根源的な問題と何かかかわりがあるのか?とか…
やっぱり結局、すごい熱心なひとみたいになっている。


では実際のところ、新システムって何がどうなるのか?
それは…書いていいかな。また今度。