まりにっき

まりにっき、お引っ越し。

◎◎は楽だよね、は楽だよね

よく批判の言葉に、「◎◎を思ってられんのは楽だよね」というのがあって、
たとえば「ロハスとか信じてられたら楽だよね」とか
「平和を祈れば戦争は起きないとか思ってられたら楽だよね」とか
「デモで現状が変えられるなら楽だよね」とか
いろいろあるけど
とりあえず
「◎◎は楽だよね、と言ってられたら楽だよね」と切り返しを用意しつつ、
思うこと、信じること、やることは楽だけではない、とかぶつぶつ、
それにだいたい
楽ならば何か悪いことでもあるのだろうか、
楽でけっこう、楽々、楽しい、ともなう快楽、
快楽を抑圧するのはみずからの生き方として勝手に選べばいいことであり
他人の快楽を抑圧するのは、おきてやぶりだという気がとてもする、
それにだいたい
お気づきかもしれないけど、
他人の快楽を抑圧するのは、それじたいものすごい快楽だったりするので、
抑圧したいあなたは、それをこそ抑圧せよ、なんて思うのである。


(補足)
私自身が、
前に少し◎◎をやった→「◎◎は楽だよね」派に転じた→それだけではイケナイと思った、
それぞれの「→」を進歩だと思っていたけれど(今もいるけれど)
どうだろう、進歩ではないかもしれない、「進歩」をどうとるのかにもよるけど、
変わり続けることそのものが進歩というか、変わり続けることによって、
変わる前の状態に対しても敬意をはらうというか、
あいいれなくても敬意をはらうというか、
そういう態度を持たなければならないなあと…
ということで、現状肯定にいそがしくて敬意の不足してる自分への反省。