まりにっき

まりにっき、お引っ越し。

はしもとさん発言についてのメモ

はしもとさん発言について。
意外とこれは、切って捨てることができず、数日間もやもや〜としている。


産経ニュースの記事に反応してみる。
橋下発言検証「大筋正しいものの舌足らず」

「国を挙げて韓国女性を拉致して強制的に売春させた事実の証拠がない」
 (検証の部分、略)
 橋下氏は政府の公式見解を述べたに等しい。

【侵略の定義】

 「学術上、定義がないのは安倍晋三首相が言われている通り」

「(米軍)司令官に会い、『もっと風俗業を活用してほしい』と言った」

 橋下氏は「建前論だと人間社会は回らない」とも主張する。だが、「性」の問題はまさに建前と本音がせめぎ合うテーマであり、ストレートに意見を述べればいいというものではない。

 慰安婦についての「当時は必要だった」との発言も、真意はともかく、秦氏は「政治家なら内外情勢を勘案し、何か主張する際には裏付けとなる証拠を示すなどもっときめ細かな配慮をすべきだった」と指摘する。

大筋「正しい」とは思わないけど、これまで政府とかが言ってきたのと同じよね?というところには同意。
マッチョな話題がストレートすぎ、ってのが結局のところ彼のミスだと思ってるんでしょ?というのも同意。
「似たようなこと、政治家さん、これまでいっぱい言ってきたじゃん」と、秦さんあたりがちゃんと言ってきたのは大事かなと。
そして、そもそも政府とかがそういうふうに言ってきたことが問題だし、その内包されてるマッチョさそのものが問題なんだよっ、と思う。
つまり、かなり多くの人に対して「はしもとさん発言について、上から外から目線で語る資格あるん?」と聞きたい感じ。
その問いは、ブーメラン的に自分にもくる。
「内包されてるマッチョ」問題は、とてもむずかしい。


慰安婦問題を、「国が強制したどうか」を分断線にするという発想も、要するに「内包されてるマッチョ」問題の回答のひとつだ。
「国による強制」に対置されるのは、「民間」であり「個人」であり「意思」であり「事情」である。
対置されるものが多すぎるし、これじゃ国家は責任を免れすぎだろう。
「イマはみんな意思で職業選んでる」というけど、そこは「意思」と「事情」とをごっちゃにしている。


しかし。はしもとさんは、実はついったーやら何やら使って、そのへんもちゃんと組み込んだ論理構成をしている。
さすが頭がよくってパワフルな人は…。この人は政治家として生き延びるのかもしれないと思った。
私が、実はちょっと考えの似てる政治家仲間なら、この人は生き延びさせる。
でも政治家じゃないし、考え方が全然違うから、あなた目立たないでほしいなあと思う。こわい。


なぜこわいか。
はしもとさんの言葉に反応していくと、自分の中の「内包されてるマッチョ」問題に気づくから。
自分と違う意見にかみつくことならできる。
「オトコって本能的にさ〜」的な話を、これまで何回聞かせていただいたことか。
「オンナだってそのへんの自分の価値とかはわかってふるまうわけでしょ〜」的な話も。
そのへん「やめてくれ」と思う自分は、ではそういうサービス業が実際にあることについてどう思うか。
ひとことではいえない。
しかし、そういうサービス業を生き抜く人たちに向けられる、何とも言えない目線とか、屈折した賛辞とかから、距離を置くことができない。
(目線の持ち主・賛辞を言う側としても、向けられる(向けられない)側としても)
いろいろなものが、えぐられる。


はしもとさんの発言を、ストレートに論難できるものは幸いである。
結局のところ、「政治家なんだから、わきまえなよ」という批判がいちばんまっとうであるように思う。
こんなところで、私は内省的になりたくはないのよ。
こんなところで、私は古傷をうずかせたくはないのよ。
みんなそうなのよ。


しかし、はしもとさんは、おまえら内省せよって発言したのであるし、古傷をこの際治療しちゃいましょうって発言したのである。
それに対して「やめてっ、古傷がうずくんですけどっ」という反応は、じつはまったく本質的ではない。
本質的な反応とはなんだろうか。
誰にとっての本質か。
心の奥を、「内包してるマッチョ」さを、私は自分のぶんなんか、内包したまま、あわよくば隠蔽しておきたいのに、ひっぺがされてるような気がする。
ものすごくひどい。生理的に拒否したい。でも切って捨てられない。
このもやもやは、長期化する気がする。