まりにっき

まりにっき、お引っ越し。

アベノミクスさん

終わりの始まりか、始まりの終わりか ―― アベノミクスの今後(矢野浩一 / 応用統計学


SYNODOS JOURNALには最近いろいろ勉強させてもらっています。
ちょうど最近の授業で昭和恐慌のあたりを話していて、つくづく現在と似ているなあと思って、それをひとは「暗黒の時代の繰り返し」という文脈で言ったりするけれども、ちっとは歴史にポジティブに学ぼうよというか、どう「繰り返し」を回避するのかを真剣に考えよう、というふうに思考は流れるべきだと思う。
誰かがお金(という名の数字)をあっちからこっちへと動かしてる感じの経済には興味がないわ、とか言って、たんに疎いだけなんですが、興味がなくても引きずられるのが経済というもの。お金(という名の数字)には縁が薄いけど、無縁ではいられない。
アベノミクスは精神論的な言葉が並ぶけど実際はそうでもなく、ニューディールとか昭和恐慌とかあのへんの状況をなぞりつつ重要なところを踏み外さずにやれるかという、科学的・技術的試みという面も多分にあるようなので、私としては、単純に反対ではありません。
ただ、週刊誌とかが、半年前にはあんなに煽っておいて、最近のつり広告なんか見るともうアベノミクスがコケたときの予防線はってる見出しを掲げてるのには興ざめ。じつに無責任だ。そんなことするとホントにコケるよって言いたくなる(←精神論的)。
うちらの生活がダメなのは、単純に不況のせいじゃないと思うんだよね、もっとこう、気持ちの問題ではないかと。だからアベノミクスが精神論的なアゲアゲの言葉を並べることにも、じつは単純に反対ではありません。
問題は言葉の中身だと思う。もっといえば言葉に込める意味、価値観。そのへんになると、私にももう少し考える余地がありそうだ。「単純に反対」ではないけど決して「賛成」ではないんだよね、今のところ、「回り回って反対」ですね。どこを回るのか?日常生活のなかでくるくる。あれがこれに帰結する、遠因する、誘引する、そのくるくる。

TM NETWORKが好きだった

考えごとをしてて、ふっと「in the human systemって感じだなー」と思ったのだ。
何をだったのかな、たぶん労働についてだった。
「humansystem」は確か小室さんの造語だけど、すごいセンスだ、と思う。

humansystem

humansystem

humanがsystem化されていくような、systemにhumanが加えられるような。
で、「humansystem」はもともと、1987年のアルバムタイトル。
リアルタイムで好きになった頃だったので、アルバム発売を待ち望んで、恋焦がれてじゅーじゅー焼けてた記憶があります。
タイトルチューンの「Human System」は、私にとっていまでも最大ヒットです。


She is here and he is there in the human system
I'm here and you are there in the human system


ついでに、むかし夢中で聴いてた曲を思い出してみる…、どれもこれも、今でもクオリティ高いんだよねえ。
元FANKSはたいがいそう言うんだけど。でもほんとだよって思う。


TWINKLE NIGHT

TWINKLE NIGHT

これが、捨て曲がないと有名な…当時は売れなかったらしいけど私はわざわざLPを買いましたよ、もうCD時代だったのに、のミニアルバムです。
「TWINKLE NIGHT」はきらきらしててかわいい。
数年前からUTSUは歌声が変わって、かわいい感じになっちゃったなーと思ったけど、SPIN OFFでこの歌を歌ってるのをみて、むしろちょっと、昔むかしに戻ったのかも、と思った。
そして、ミニアルバムに一緒に入っていた「Your Song」が、ものすごいいいです。
リアルタイムでは知らず、後付けで聴きました。スケールでかい。
歌詞が意味不明だけどなんかノーブルなことゆってんのかなって気になって、でも実はかなり俗っぽい感情だった…というのは、昔から変わらないんだね、小室さん。(そういうところが脳内麻薬的に好きなんですが)


「Beyond the Time」
私ぜんぜんガンダム知らないから、「逆襲のシャア」の主題歌だった、とか言われてもわからないけど、メビウスの宇宙を越えて、だから、宇宙規模な感じがする。
これもスケールでかい曲だ。



ほかにもあるある。思い出して、つべってみたひとたちを列挙してみる。どれもよかった。
「The Point of Lover's Night」←曲のスケールと歌詞がミスマッチでたまらん
「PASSANGER」←いま聴いても新しい
Children of the New Century」←21世紀末に聴いてもイケる気がする
「All-Right All-Night」←ひそかに時代の区切り目に位置する名曲
つべは全部、内緒なので、残念だ。


止まりそうになかったので、子どもを誘って、DVDをみた。子どもは最初の方…「金曜日のライオン」(←これもまたスケールがでかいけど歌詞が意味不明)とか「1974」の映像にバカうけしていた。
私は、自分が「KISS YOU」も「TIME TO COUNT DOWN」も歌詞を全部覚えていたことに感動した。ばっちり、魂に刷り込まれている。
思春期の音楽は血肉となり魂となるんだなあ。「14歳の魂、100まで」である。

All the Clips [DVD]

All the Clips [DVD]



今回、ちょっとTMを聴き直してみての収穫は、
「DIVE INTO YOUR BODY」という、バブリーで歌詞がしょもなくて、当時ぜんぜん興味のわかなかった曲が、すごいおもしろい音をいっぱい使ってて深い曲だったことがわかったのと、
「Nervous」と「Beyond the Time〜KISS YOU」のMEGA MIX…むかし衝撃を受け、いまだに覚えてるそれ、を、ウェブ上で発見したということだ。イントロが超絶的にすごいってのも、記憶通りだった。
現代に生きていてよかったなあ。

橋下市長発言一件、もっと考えた

橋下市長の発言一件、もっと考えた。
ずっと不快感があってもやもやしてるし、不快感の根元を自分なりに納得したいし、擁護する意見も非難する意見も、部分的に同意するけど部分的にしっくりこないし。
まず、ちょっとだけ彼を擁護する。
歴史的にものをみる、というのは、「当時(おそらく)こうであった」という解釈に、現在的価値観を、即座には差し挟まないということである。
発言たちをなるべく切り取らずに読めば、彼はその手続きをふんだにすぎない、と思える。当時はこのような認識がなされていた、と。現在的には慰安婦は許されない、と言っているのだし。
また、現在の(合法的な)風俗産業についても、「職業選択の自由」が機能しているという前提で彼は言っているのであり(憲法遵守ね、なんて)、この前提が成り立たないなら、風俗産業そのものを見直さなければいけない、という予防線もはっている。
だから、「慰安婦制度を肯定しさらなる痛みをおわせている」とか「女性を性の道具と考えている」という批判は、たぶんどこか的外れだ。
少なくとも彼には届かないし、「建前論」のレッテルを貼られるだけだ。
この届かない感じが、私は気になる。届かないうちに、議論は頑なになっていく。肩凝りもする。
彼の発言はたいへん論理的だし柔軟だ。隙がない。
なのになんで、自分のなかにこんな「違うぜ」感があるんだろう。
すると結局、論理構成ではなくて、それ以前の部分、「本音」と彼のいうところが、「違うぜ」ってことだと思う。
つまり、彼の認識の前提にある、「オトコってそうゆう生き物なわけよ」的な、「3年目の浮気ぐらい大目にみろよ」的なそれ、ひらきなおるその態度が気に入らないのよ。
「オトコってそうゆう(どうしょうもない)生き物だ」と言って、「そんなオトコを包んでくれる女性はマドンナ」だから、バカにはしてない、むしろ尊敬、とでも言うんでしょうが。
問題は、それが真実だと公言してはばからず、そんなん嘘だと思った相手には「建前だ」とか「モノを知らない」とか、要するに「カマトトぶってんじゃねえよ」とこき下ろす、そういう思考回路そのものである。
それを女性蔑視だといっても納得しないだろう。根っこにあるのは啓蒙主義、っつかコロニアリズム(植民地主義)だ、といった方が、しっくりくる。
歴史的にみて、コロニアリズムがマッチョなオトコ論理で回ってきたことは、すでに指摘されている。そういう意味でいうと、女性を蔑視してるつもりはなくても、男性的じゃないもの(イコール女性的なもの?)を軽視するのは、当然のなりゆき、なれのはてだと思う。
世の価値観は、男性的なものだけでできているのではない。私(たち)の違和感は、無知や建前の産物ではない。「なにその欲望だだもれ、恥ずかしい」という本音である。
本能だから恥ずかしいのではない。私には、「オトコってそうゆう生き物なわけよ」の方が、ステレオタイプな見苦しい建前論に思えるし、進歩のなさをさらけ出しているように思えるのだが。

厄介なのは、私たち自身の中にも、コロニアリズム的な思考回路はずいぶん内面化されていて(それだけ根が深いということ)、他者のマッチョを言いつのれば、自分のマッスルがズキンと痛む…ということだ。
だからこそ橋下市長は、コロニアルな挑発を繰り返す。なんか彼は、筋トレでもしてるみたいだ。非難の声は負荷だ。
ここまで書いて、どうして維新の党がああいうメンツでああいう路線なのか、すごくわかった。橋下氏は、石原前都知事の正統な後継者なんだ。高尚な思索ではなく露骨な欲望の発現に価値をみとめ、そこに啓蒙主義をもちこむ点において。
で、私が言いたいことは決まった。「なにその欲望だだもれ、恥ずかしい」
この言葉を向けたい相手は、じつはいっぱいいる。

はしもとさん発言についてのメモ

はしもとさん発言について。
意外とこれは、切って捨てることができず、数日間もやもや〜としている。


産経ニュースの記事に反応してみる。
橋下発言検証「大筋正しいものの舌足らず」

「国を挙げて韓国女性を拉致して強制的に売春させた事実の証拠がない」
 (検証の部分、略)
 橋下氏は政府の公式見解を述べたに等しい。

【侵略の定義】

 「学術上、定義がないのは安倍晋三首相が言われている通り」

「(米軍)司令官に会い、『もっと風俗業を活用してほしい』と言った」

 橋下氏は「建前論だと人間社会は回らない」とも主張する。だが、「性」の問題はまさに建前と本音がせめぎ合うテーマであり、ストレートに意見を述べればいいというものではない。

 慰安婦についての「当時は必要だった」との発言も、真意はともかく、秦氏は「政治家なら内外情勢を勘案し、何か主張する際には裏付けとなる証拠を示すなどもっときめ細かな配慮をすべきだった」と指摘する。

大筋「正しい」とは思わないけど、これまで政府とかが言ってきたのと同じよね?というところには同意。
マッチョな話題がストレートすぎ、ってのが結局のところ彼のミスだと思ってるんでしょ?というのも同意。
「似たようなこと、政治家さん、これまでいっぱい言ってきたじゃん」と、秦さんあたりがちゃんと言ってきたのは大事かなと。
そして、そもそも政府とかがそういうふうに言ってきたことが問題だし、その内包されてるマッチョさそのものが問題なんだよっ、と思う。
つまり、かなり多くの人に対して「はしもとさん発言について、上から外から目線で語る資格あるん?」と聞きたい感じ。
その問いは、ブーメラン的に自分にもくる。
「内包されてるマッチョ」問題は、とてもむずかしい。


慰安婦問題を、「国が強制したどうか」を分断線にするという発想も、要するに「内包されてるマッチョ」問題の回答のひとつだ。
「国による強制」に対置されるのは、「民間」であり「個人」であり「意思」であり「事情」である。
対置されるものが多すぎるし、これじゃ国家は責任を免れすぎだろう。
「イマはみんな意思で職業選んでる」というけど、そこは「意思」と「事情」とをごっちゃにしている。


しかし。はしもとさんは、実はついったーやら何やら使って、そのへんもちゃんと組み込んだ論理構成をしている。
さすが頭がよくってパワフルな人は…。この人は政治家として生き延びるのかもしれないと思った。
私が、実はちょっと考えの似てる政治家仲間なら、この人は生き延びさせる。
でも政治家じゃないし、考え方が全然違うから、あなた目立たないでほしいなあと思う。こわい。


なぜこわいか。
はしもとさんの言葉に反応していくと、自分の中の「内包されてるマッチョ」問題に気づくから。
自分と違う意見にかみつくことならできる。
「オトコって本能的にさ〜」的な話を、これまで何回聞かせていただいたことか。
「オンナだってそのへんの自分の価値とかはわかってふるまうわけでしょ〜」的な話も。
そのへん「やめてくれ」と思う自分は、ではそういうサービス業が実際にあることについてどう思うか。
ひとことではいえない。
しかし、そういうサービス業を生き抜く人たちに向けられる、何とも言えない目線とか、屈折した賛辞とかから、距離を置くことができない。
(目線の持ち主・賛辞を言う側としても、向けられる(向けられない)側としても)
いろいろなものが、えぐられる。


はしもとさんの発言を、ストレートに論難できるものは幸いである。
結局のところ、「政治家なんだから、わきまえなよ」という批判がいちばんまっとうであるように思う。
こんなところで、私は内省的になりたくはないのよ。
こんなところで、私は古傷をうずかせたくはないのよ。
みんなそうなのよ。


しかし、はしもとさんは、おまえら内省せよって発言したのであるし、古傷をこの際治療しちゃいましょうって発言したのである。
それに対して「やめてっ、古傷がうずくんですけどっ」という反応は、じつはまったく本質的ではない。
本質的な反応とはなんだろうか。
誰にとっての本質か。
心の奥を、「内包してるマッチョ」さを、私は自分のぶんなんか、内包したまま、あわよくば隠蔽しておきたいのに、ひっぺがされてるような気がする。
ものすごくひどい。生理的に拒否したい。でも切って捨てられない。
このもやもやは、長期化する気がする。

globeの21世紀

作業しながらglobe聴きはじめたら止まらなくなったので、
globeは2000年に入ってからの方がいいんじゃないかと当時も思っていたけど
ちょっと時間を置いてみるとあらためてそう思う、
でも「ちょっと」って、もうそれすらもひと昔前…orz
ということでglobeのマイフェイバリットを列挙してみる。
けーこさん、良くなってくれるといいです。


最高傑作はgenesis of nextだと、あらためて確信した。


2000年代ということは、トランス入ってからです。
トランスでいく、と全面的に打ち出したアルバム

outernet

outernet

この1〜3曲目の流れが、ちょっと非現実的というか、
現実逃避的で好き。
outernet→garden→angel's song
あと、8曲めのDON'T LOOK BACKは、single ver.の方がいいですが、
聴いてるとアイデンティティが揺らぎます。名曲です。


globeには、YOSHIKIもいたんだよう、ということで、
けーこさんがささやくように歌うseize the lightもいい。

曲調はスタンダードで、特別好きということではないけど、
昔のこむろさんがいかに渇望していたのかということが伝わるので、
なんだか泣ける…2005年シングル、Here I Am

こむろさんは名プロデューサーかもしれないし、
メロディメイカーとしてすごいと思うけれども、
彼がアイデンティティ崩壊させながら作ってた曲をこそ、
私はイイな〜と思って消費してたわけなので、
なんつうか、無邪気に罪だねえと思うのだ。
でも、耳に入ったものを好んだだけなんだぜ、とも思うのだ。
消費って本質的にそう、とも思うのだ。


再生するglobeはどうかな。うーん、ちょっとまだ、耳にしっくりこない。
購入するかどうか、しばらく考える。
でもTK remixにgardenが入ってるのがうれしいなあ。

新入生ママの断片的感想(その1)

いわゆる「小1の壁」っていうのもあるように、
保育園生活と小学校生活ではいろいろ違うのは、伝聞してきたけど、
ホントにいろいろと違う、ようだ。
いまはまだ書類で見るレベルだけど、
これからじわじわと実感するのであろー。


それ(小1の壁とか)とはレベルが段違いかもしれないけど、
さっそくこまごまと、なんかルール独特〜って思うことがあり、
感想がフレッシュなうちに、そのへんをメモってみようと思う。


1.学童の「おやつ当番」について、など
学童保育の保護者には、役員さんのお仕事とは別に、
「プール当番」(夏、子どもをプールに引率、見守り。その日は仕事休んで担当)

「おやつ当番」(全員分のおやつ1週間分を購入&生協で注文)
があるそうです。
これは年に1〜2回、必ず回ってきます。
おやつは、約半分を生協で注文(ゼリーやアイスなど)し、
あと半分を購入して持参する。
記録ノートとお金を、保護者が(指導員をとおさず)回していく。
ふむふむ。
おうちによって、帰る時間が違うのに、引き継ぎどーやってやるんだろう、
保育園なら文句ぶーぶーだったろうに、
ここではシステム化され、みんな分担してる…すごい
(保育園関係者に問題があったのだろうか…)


まあ、ぶーぶー言う声は当然あるそうで、
「こんなにおやつ与えるなら、パンやおにぎりにしてくれた方が」
「ぜんぶ生協で注文すれば手間がかからないのに」
すぐに思いつきそうです、私もちょっと思った、
けど、何をやっても文句は出るだろうなとすぐに思い直したわけ、
パンやおにぎりだとどうしても単価が高いし、量も少ない、
子どもがお喜びにならないではないか、楽しみを奪うなって感じだ。
生協で注文するとやはり単価が高い、
それは会費に直結する問題、
近所の卸売店でまとめて買えば安いのに…
「そんなん、親が帰りにささっと買ってくればいいわ」
という展開になることは、十分に予想できるのである。
(実際そーいう展開だったんじゃないかと邪推している)


ちょっと学童の話からそれるけど、
学校で、学用品をいろいろ持たせないといけないんですが、
小学校ではほとんど「指定」とか「一括購入」がありません、
いや、注文販売はあるんだけど、自分たちで用意しててもいい。
そこで、情報に詳しいお母さんたちは、安い物を口コミで探して、
いろいろと買い集めていくことをしている。
これも、そういうことかなあと思ったわけです。
一括で買い与えれば、保護者は楽…かと思いきや、
「そんなの、ネットで買えばもっと安いのが手に入るのに」
「大きさとかが同じなら、全員一緒でなくてもいいでしょうに」
という声が、ぜったいに出てくる。
(実際に、保育園で指定体操服を導入した時に出てきた)
「きょうだいが使ってたのを回したいのに」これは正論。
ということで、「べつに全員同じでなくてもいいので、お好きにっ」
と、なるのは、時代の趨勢ってもんであろーと思う。


ようするに、あれにもこれにも一長一短があって、
どこを大事にするかという、
価値観の問題の反映であろーかと思ったのである。
そして、これまでに接してきた、保育園の世界とか、
過去の学校体験の世界とかとは、
価値観の反映のしかたが変わってきているんだねえ、
というのが、新鮮な感想でございます。


1つ書いたら長くなったので、続きはまた今度。

ピカピカいちねんせい

今日は入学式!
ピカピカのいちねんせい、

ランドセルは、お友達も持ってかないから、いらない!とのこと
しかし君たち以外はみんな持ってた、
記念写真チャンスだからねー

ま、いいや、ランドセルや記念日は、君たちのためのものだ
写真うつりのためではなーい

そのお友達も含め、知ってる子がいっぱい同じクラスになって、よかったね

その、ピカピカのランドセル、
入学式に持ってかなかったランドセルを、
なぜ帰宅後に公園にしょっていったのか
その姿でなぜ自転車(まだ補助つき)で疾走してたのかは、
なぞだ。

じゆうなこころを、たいせつに!