まりにっき

まりにっき、お引っ越し。

生存戦略としての科学

感情や感覚に揺さぶられる日々だ。
状況を把握したい、感情に押し流されるのをやめたい、理性的にいきたいものだと思う。
他人が感情だだもれにして、それを見せびらかしながら生きている姿は、見ていて息苦しい。

人間でしょう?歴史的に蓄積されてきた英知があるでしょう?無知をさらけ出して平然としてるなんて。

冷静な判断をできる人でありたい、パニックにおちいりたくない、自我を剥き出しにしたくない。
論理的な人とつながりたい。
落ち着け自分。視野を広くもて自分。情報にむかって開け自分。知識を手にいれろ自分。
はいそこまで。
…つまり「正しく」話の続きなんですが、「科学的」ってなんじゃい、と、しばらく前に考えていて、
科学者ならばもっと科学について謙虚であってほしいんだけど、あなたが大切にする「科学」てなんじゃい、と思っていたけど、
ある人々にとっては、それをモットーにすることこそが生き延びる拠り所なんだとわかった。
尋ねても答えがないはずだ。尋ねるべきではなかった。それを奪う権利や、問い詰める義理はないわ、私には。
感情だだもれで生きることも、ある人にとっては生き延びるための拠り所なんだから、目くじら立てなきゃいーのに、という気もするけど。
そうか、異質な他者を攻撃すんのも、生存戦略…。
私自身はきっと、どっちらへんにもなじめず、群れられず、うねうねやってんのが、生存戦略なんだな。やっとわかってきた。