まりにっき

まりにっき、お引っ越し。

発達のデコボコを生きる

るらくんは成長しています。
彼の成長とともに、わたしは、
「今までとは違う世界」を見続けています。
属性がかわると、世界は違うようにみえます。


私は相変わらず、教育学の範疇にいるのですが、
「発達」とは違うところばっかり勉強してきました。
なので「発達」については、通り一遍のことしか知りません。
なんちゃら期がどうこう、って話。
そして「発達はあくまで目安であり、個人差があります」。


個人差の世界を、ひとりの子どもをつうじて痛感するのです。
発達はデコボコしている。


たとえば「●●ができる」ということについて。
今、頭にあるのは、最近やった「九九の話」です。
るらくんは、九九が苦手です。…いえ、九九が得意です。
正確にいいます。
九九で憶えるような、ひとケタの掛け算は理解しています。
計算問題は(ケアレスミスを除いて)ほぼできます。
しかし、九九の暗唱が、なかなかできません。
とくに、先生の前でやると緊張してしまいます。
クラス友達は、「10秒以内」とか競い合っているので、
うっかりそれに乗ろうとして、けちょんけちょんになったりします。


・おぼえている。
・暗唱できない。
るらくんをふだんから見ている私には、
この2つはまったく別のことに思えます。
個人面談でも、力説しておきました。
しかし、頷いて聞いていたはずの先生にとって、
この2つは混ざり合い、
・ちゃんとおぼえていない
に集約されているんだ、ということに気づきました(連絡帳によって)。


しかし、しかしですね、
これは対応の仕方に関わる重要な認識ではないですかね。
…と私は思うわけです。
(練習を繰り返し覚えさせる、とは違う対応を模索しなければならない)
でもなあ、私とて、これまでその違いに正面切って向き合ったこともない、
たまたま目の前に、こういうるらくんがいるから、
ああ、この2つは違うんだなと思った、という。
だから、一方で、
「この子は頭には入ってるの!あんたが緊張させてんじゃないのっ?」と思い、
連絡帳に書きつけてやろーかと思いつつも、
そのパワー投下は切ないなあ、どうせ伝わらんなあ、という気持ちが、
しだいにソーダのように心にあふれていく。


そんなこんなの積み重ねで、るらくんは、たぶん苦労しています。
発達のデコボコを生きている。
学校という場所は、相変わらず、そのデコボコに適応できないというか、
デコボコくんが学校に適応できないというか、
どこまでも平らな道。(まあそれはそれで山あり谷ありだけど)


さて、そんなデコボコくんの親は、
学校化した社会の中で、でもここは家庭です、
しかし家庭とは社会の最小単位のことであります、という中で、
デコボコくんの親は、どう関わっていけばいいのでしょうか?
と、日々悩みながら生きているわけです。