まりにっき

まりにっき、お引っ越し。

どうしてボクを産んだの?

産んでくれって頼んだ憶えはないよ!
という言葉を、発せられたときに、


産みたかったから産んだし
育てたかったから育ててるし
一緒に暮らしたいから暮らしてんだよっ!


と、どーどーと言えるように生きたい。
生まれてすみません、産んですみません、では
しんどすぎるので。


最近の日本では、権利ばかり主張するひとが多く、
義務や責任がともなうことを忘れているのではないか、
という論説がまんえんして、
そんな説の持ち主が責任を果たしたつもりか知らないけど、
どえらく説教くさい教育基本法を作り出してしまった。
それは「教育さん」に責任転嫁をしただけだろーが、
がっかりだよ!(桜塚やっくん)とかつぶやきつつ、


私は、産みたい、育てたい、暮らしたい、という欲求を
満たさせていただいているのだから、
(ちび太がそれを望んでいるという保証はどこにもないのだから)
責任やら義務やらを果たさなければならないと思う。


だれに対しての?
ちび太に対してですよ。


つまり、ちび太が生き難くなるような障壁は、不条理な障壁は、
取り除くべく、努力を惜しまないこと。
そのプロセスを含めて、ちび太に全部公開できるように、
その時その時の思考をたゆまず高めること。


これは、
この国に籍を持ってる人間が子どもを育てるにあたって、
この国に対して果たすべき責任と、
寸分違わないはずだと思うんだけど、
どうも、これからはそうはならないらしい。


だったら、この国が要求してくる責任やら義務の方が、
違うんじゃないですか?
と、思うんだけど。
思うので、すみません、国家に対しての責任や義務を、
私はうまく果たせないかもしれない。


でも、私は、ちび太に、将来にわたってずっと、
産んでよかった。育ててよかった。
と、言いたいんだもん。
それはもう、何があったって、言いたいんだもん。


どうしてボクを産んだの?
産んでくれって頼んだ憶えはないよ!
と言われて、
答えをうまく返せないような国に、
将来はないでしょう?