まりにっき

まりにっき、お引っ越し。

民主主義主義

 この私にも明確にわかるように、今日の新聞とテレビは、わが国の民主主義が危機的状況にあることを、教えてくれたのである。
 だって、はっきりそう書いてあったんだもん。


 ひとつめは、長崎市長が銃撃された事件。民主主義の危機だという見出し。


 もうひとつが国民投票法について。
 いま参議院で審議されている(衆議院からけっこう強引に送り出された)法案の問題点として挙げられているのは、
1.最低投票率の定めがない
2.公務員・教育者の「地位を利用した」国民投票運動が禁止
3.なのに有料広告は制限が少ない(14日前から禁止=15日前までオールOK)
などで、こんな問題を抱えたままでろくな議論もせず「民主主義を踏みにじり、憲法を変えるための国民投票法の成立を許してはいけない」(社民党福島みずほ党首)と。


 一方、今朝のズーミン番組(最近朝の時計代わりテレビはこれ。たいした理由じゃない、他局が不満なだけ)で、辛坊治郎氏が、最低投票率を定めよなんていう批判は「民主主義の自殺だ!」と言うてはりました。少数派が投票を無効化する手段に使う恐れがあると。投票した人たちの意思が、ムダにされる可能性があるでしょうと。


 民主主義という言葉を取り合っている様子が端的に表れている。


 国民投票の話と民主主義について、もういっこネタ拾い。仲正昌樹氏はこんなふうに書いている。

護憲派が「平和憲法を守っていくことが、日本国民の意志である」と強く確信しているのなら、国民投票を通して護憲への意志を再確認し、平和への誓いを新たにするようアピールする戦術を取ってもいいような気がする。
(中略)
改憲の焦点になる個別テーマについての議論を始める前に、民主主義と立憲主義の間の緊張関係についてきちんと考えてみる必要があろう。
信濃毎日新聞2007年4月14日)

 辛坊さんも仲正さんもそれぞれ、一見とても妥当なことを言っているように思う。だけど実は、国民投票のルール設定がたいへん恣意的になされているという、批判の核心部分が隠蔽されてるわけであって、論点がずらされているのだ。
 そのうえで、まだ奥に「だけどだけど…」があるんじゃないのか、そしてさらに「だけどだけどだけど…」を私(たち)は構築しなきゃいけないんじゃないのか、ということを最近思うのだけど、このかんの議論、深い所にまだ接近できていないので、寝ぼけたことを言っていたらごめんなさい。