まりにっき

まりにっき、お引っ越し。

腐ってもなんとか

「学校は腐っている」という言説について。
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メディアという化け物がいて、うにょうにょと政府のいうとおり動いているわけでは、もちろんないので、
「学校は腐っている」的な記事が出るときには、学校の現場を見るなり、話を聞くなりして、「うわーひどいこりゃ腐ってるぜ」と思いこれを伝えなくちゃと思った記者がいるわけであり、(その現場なり話なりがいかに偏っていたとしても、ガセも含めて、それは情報としてそこにあるわけよね、あるからには存在理由があるわけよね)
その言説をメディアを通じて見聞きして、「うわーひどいこりゃ腐ってるぜ」と驚きあきれ信じた受け手がいるわけであり、
「でもなんか、それわかるわ、だって私もね」と思った人がいるわけであり、


…要するに、人が介在するわけですよ。まさに、メディアですから。


「学校」は「腐っている」と乱暴にくくってポイすることも、
「学校は腐っている」は「為政者」の「メディア戦略」だとポイすることも、
おっしゃるとおり、「危険」だと、わたしも思います。


なにが危険か。
かんたんにいえば、人が消えるんですよね。


ここをわたしは、時々「リアリティがない」という言葉にしてしまう。自分のリアリティに頼ると「他者への想像力」の欠如をすぐ責められるので、この言葉使いたくないなーと思うのですが、「自分のリアリティ」と「他者への想像力」、べつに相反するものじゃないじゃん。まあそれはいい、本当はもっとぴったりした言葉を探したい。どう表現すればよろしいか。


だいたい、どこを指して「学校」といいますか。
「腐っている」とはどういう状態を指していいますか。
(納豆は腐っていますか、「くさや」はどうなんですか…)
「為政者」ってだれですか。
…いかん、どんどんポストモダニズム的に疑わしくなってくる。


じゃなくて、主語と目的語を特定したいよねえと。
もう、ちんぷな主語いらないし、ちんぷな目的語いらない。
「国民は」とか「安部政権を」とか、ちょっとしばらくいらない。