まりにっき

まりにっき、お引っ越し。

かわいそーに

 最近アベさんの姿をテレビや新聞で見るたびに、ついつい「かわいそーに」と口から出てきてしまって、そのたびにだんなが「僕は、全然かわいそうじゃないけど」と返す。
 私の言い方のほうがずいぶん無責任で、本当にかわいそーと思ってるのかとか、じゃずっと続けてほしかったのかとか言われると、んにゃんにゃと首ぶんぶん横フリであるが。しかし、痩せた元イケメン(だからどこがだ)は哀れだし、完全に失意のズンドコにある表情は哀れだ。
 いや、なんかもっと違うことについて、私は「かわいそーに」と言いたいんだと思う。たとえば?「恵まれている」といわれるお育ちだって、やっぱりかわいそーだと思う。生まれたときから周りがあんなんで、そんなんだったんでしょう。格差や貧困といわれても、誰も教えてくれないもん。教科書には、アフリカの飢えた子どもたちは載っていても(私の子ども時代はそうだった。給食の時間にビデオ見せられて、世界にはかわいそーな子どもがいるのだから、皆さん残さないようにって)、日本国内の貧困はなかった。「まだ習ってません」だ。
 憲法は教わったはずだけれど、彼はどうもあまりよく覚えていないらしい。学校で教わったことさえ、かんぺきに身につくわけじゃない。まして周りが教えてくれないことは。
 資質がなかった、というのは、知れきったことだから今さら言ってもつまんない。今思っているのは、「知性」のありようが、巧妙に複雑にねじくれているということだ。アベさんはバカだった。それも知れきったこと。ではどうしてバカがあそこまで行き着くのか。行き着いて結果ズンドコまで行かされるのか。それは知性の欠如という名の「知性」ではないか。あれ、なんのこっちゃ。
 ま、もうそろそろ「かわいそーに」も出ないと思う。彼が出てこなくなっちゃったから。