まりにっき

まりにっき、お引っ越し。

タマシイ談義

 1歳を過ぎたらそろそろしつけを始めましょうね、と育児本に書いてあるので、そうかーと思って人間の所作をちょっとずつ教えようとするのですが、話のわからん方に説くのって、疲れますよね。疲れるでしょう?ねえ。
 言い聞かせて、打てば響くというわけにいかないのは承知しているはずなのだけど、「ダメだよ」といってもやる。そろそろ、明らかにこっちの言いたいことがわかっているのに、言葉が通じないフリをして、やる。「ダメだってばさ」でもやる。
 しょせん1歳児、やることだって覚悟きめればしれている、やりゃいいのよ。こぼしたら拭けばいい。倒したら起こせばいい。泣いたらなだめればいい。
 なのに「ダメだよ」としつけていると、だんだん途中で、いらついてくる。んなろーダメっていってんだろがよー、ふるふる、を抑えて、「ダメだよぉ」と言う声が、ふるふるしてくる。
 こちらの言葉が、宙に浮くことがムカつくのだ。るらのやることがムカつくのではない。言葉が受け入れられないことへのムカつき。打てば響くようにはいかない。わかっちゃいるけど、打ってんだよこっちはよー、響けよーっ、って心のどこかで思っているらしい。
 いっそしつけない方が楽だよねー、大人にとっても子どもにとっても。というわけで、しつけを回避したい。遅らせたい。言い訳をつけたい。
 幼い頃にしつけが必要だというときによく「三つ子の魂百まで」って使われるけれども…、3つまではタマシイに関係ないと解釈してよろしいか。3歳ぐらいまでは野放しOKってことにしてよろしいか。
 われながらあさましい言い訳ではある。しかししかし、のれんに腕押しを根気良く続けなさいってのも、キツイ筋トレでありまする。