まりにっき

まりにっき、お引っ越し。

社会化とは

 えーと、立場や考え方によって、お怒りになる方がいらっしゃるのは重々承知しておりまして、そういう言葉を改めてつきつけられると無意味に傷つくばかりなので、ごめんなさいね。怒らないでね。打たれ弱いので。
 子どもに社会のルールを教えていくとか、社会化させていくというのは、どういうことなのかなあと思ったの。
 昨日バスに乗って、終点まで行きました。他のお客さんを待って、最後に降りたのですが、るらくんはもう階段を上り下りできるので、自分で降りたいのです。その時も、抱っこで運ぼうとすると「じぶんでやる」と。まあ、ゆっくりです。けど、遊んだりはしていない。ひとつ、もうひとつ、着実な(いささか着実すぎるが)降りる。
 そこで、背後から運転手さんの声。
「信号が変わっちゃう!」
 バスは、停留所ではなく、他のバスが通行するところに停まっていたわけです。われわれ乗客をささっと降ろして、信号が変わる前に出ようとしていたらしい。そんなこと知りませんでした。バスターミナルってごちゃごちゃしているから、降りて眺めてみないとわかんないよね?
 信号にはなんとか間に合ったようで、背中すれすれにバタンとドアを閉めて、ばーっとバスは出て行きました。
 運転手さんの論理はわかります。もしかして、そういうルールになっているのかもしれない。バスがひしめく終点だもの、停留所にわざわざ止めずにいけそうな時は道で止めると。
 子どもが流れを乱したり周囲に迷惑をかけないように管理監督指示指導するのは、もちろん保護者の役目。私の役目。バスの円滑な流れを乱したのなら、それはいけない。ごめんなさい。すみません。
 けれども、なんだかわりきれない気持ちが残る。
 終点で、他のお客さんがいない状況で、自分のペースで、遊ばずまじめに、バスを降りる子どもは、迷惑なんでしょうか?
 ていっと力づくで抱っこして、たたっと降りてしまう方が、良いことなんでしょうか?
 私にはそうは思えないのです。でも、そう思える人もいるのでしょう。そこで、どう折り合えるのか、折り合わないままいくしかないのか、難しいなあと。
 ダンナがよくマネする「北の国から」の1シーン(私は見たことがない)。ラーメンをさっさと片付けようとする店員に向かって、「子どもがまだ食ってる途中でしょうが!」と怒る田中邦衛。あれをちょっと思い出しました。子どもが降りてる途中でしょうが!
 次にバスに乗るとき、私はどうするでしょうか。やっぱり、最後に降りると思います。子どもが自分で行きたいなら、行かせたいと思う。だって子どもは、確かに子どもの世界を生きているようにみえるかもしれないけど、実は一生懸命、大人と同じ世界を生きようとしているんですよ?
 ふう…。教育学やってても、こうゆう事態に対してはぜんぜん素人でぇす。