まりにっき

まりにっき、お引っ越し。

いろんな生存の仕方

それにわたしたち、センシティブなところも、そーそー磨耗されとりゃせん。やっぱり、どよん、とした中年の女の人って世の中にたくさんいるもんだ。つまんない(とわたしには思える)女の人たちも、いっぱいいる。だから、それに比べてどうのこうのというのではなくて、やっぱり動物園とか水族館に行った時みたいに、おおそうか、いろんな生存の仕方があるものじゃなと、単純にカンメイを受けるもんですよ。いろんな人を見るのは、おもしろい。向こうもそう思うんでしょうな、やっぱり。
伊藤比呂美枝元なほみ『なにたべた?』マガジンハウス、1999

 私は、じつは自分の生存の仕方ってけっこうおもしろいし、キラキラもしている(どよん、とじゃなくって)と思っているんだけど(うぬぼれっ)、なんかそーゆうおもしろいのを、人と話すのが苦手というか、今までの、理解されなかった苦みみたいなのが、喉の奥でくぅ〜〜ってなって、うまくしゃべれない感じがする。
 るらくん、ゆっくりでたどたどしいお話、接してくれる大人の中にも待てない人がいるんだよね、その人の気持ちはわかるけれども、るらくん的な経験を大人になってもいっぱいしている私は、るらくんがくじけずに表現を続けていってほしいなあと、たぶん親バカ抜きで思っている。
 そう、ゆっくりでたどたどしいお話。
 私は自分以外のひとに話す時に、自身に課していることがある。「前に進むことを想定しないグチは言わない」はそのひとつ。たとえば私は、保育園に対していくつか納得のいかないことを持っていたけれども、それを単なるグチとして発したことはないつもり。直接談判してバトルするべきなのか、こちらがしなやかに対応することで事態はよくなるのか、などなど、対応策をはかりたくて、話したことがある。そして、いろんないろんなことを考えた結果、良かれと思った方法を選んだ。これはもう、現時点で選び取った道なので、不満はないし、もはや同じことでグチを言うつもりはない。
 たとえば友の会に対して、いくつか納得のいかないことを持っていたので、退会を考えていたけれども、それを単なるグチとして発したことはないつもり。フェイドアウトすべきなのか、こちらがしなやかに存在することで事態はよくなるのか、などなど、対応策をはかりたくて、話したことがある。そして、いろんないろんなことを考え、以下同文。
 たとえば仕事に対して、以下同文。
 でもゆっくりでたどたどしい話し方しかできないから、単なるグチとして聞かれた人はいるだろうし、だから、あーあって感じで核心にたどり着く前に避けられたなーと思ったこともある。その人の気持ちはわかるけれども、もうちょっと聞いてほしかったなーとも思う。では今後私がしゃべるかというと…同じことはもう言わないと思うし、強いて聞かせようとするのは双方にとって不幸だということもわかるので、おそらくしゃべらない。
 結局のところ、生存の仕方が違うんだと考えると、いくらか気が楽になる。そのぶん群れからはぐれたような気分になるので、よしあしだけれども。そして人はたいがい(私も含めて)、それぞれの生存の仕方の枠内でしか、他人の話なんて聞けないわけだから、そこらへんで根本的に、いつまでも出会えない、ということはあるんだろうと思う。
 さて。ここまで落ち込む前に、それでも出会えるんだ、いろんな生存の仕方があるならば、いろんな出会い方もあるんだ、ということを、教育学研究科という場所で学んだのではなかったか、私は?
 出会えなかった経験に落ち込む前に、出会えた経験を思い出そう。出会えたひとたちのことを思うようにしよう。そうだ、いっこ大事なひとからメールをもらっていたのにお返事をしていなかった。たとえばそんなこと。