まりにっき

まりにっき、お引っ越し。

署名について

ほいくえん経由で署名にご協力くださいの案内が今年も来ていて、とりあえず周りに頼んで2枚くらい出したのだけど、署名の追加募集があってまた用紙が渡された、のはしばらく前の話。
大きくいえば、行政が保育にもっと多くのお金と力を注いでいただくのは、当然のように必要なことだと思うし、あまりにもあんまりだろうという気はするので、そういった声をあげていくことは大事なことだと思う。
でも実際、真剣に考えるとご協力を簡単には願えないところもあって、けっこうこれ女性どうしでセンシティブな話題なんだと思うんだよね(本当は女性どうしじゃないんだけど)。

福祉がいまできること―横浜市副市長の経験から

福祉がいまできること―横浜市副市長の経験から

前田正子『福祉が今できること』に書かれていたのは、よーするにふつうのおうちの保育充実にまでこれ以上割いている予算は、自治体にはないので、そのへんは地域の自助努力でやりましょう、ということだったと思う。
ふつうのおうちが、もっとふつうになりたいと主張する声は、当然ですが、大きい。多数だから。
ふつうにいきつかないおうちが、せめて少しふつうに近づきたいと訴える声よりも、大きくなる。
自治体が、福祉ということで力を入れるべきは、後者のほうである。っていうことだったと思う。
前田さん、私知り合いでもなんでもないし熱心な読者でもないけど、少しは読んできたので、ちょっとこれって転向じゃないのかなと思ったり、いやいや結局これが本質かと思ったり…。
客観的に、前田さん言ってることすごくわかるんですよ。
主観的には、なんだよ子育て政策の途中放棄じゃねえかよと思ったりもするんですけど。
で、しみじみと考えるにあたって、うちの立ち位置ってどこだろうってことを考えるわけですよね。
ふつうにもいろいろあって、ふつうにみんなが働いているおうちもあれば、ふつうにママは在宅のおうちもあり、ふつうにパートのおうちもあり、ふつうに働きたいけど環境が整わないおうちもある。ふつうに子どもが元気なおうちもあれば、ふつうに子育てに悩むおうちもある。そしてそれぞれ固有の問題を抱えているので、もっとふつうになりたいと思う。
で、まあ、うちはふつうです。と思う私たちは、けっこう、恵まれている方なんだと思う。
がしかし、「恵まれているよね」と他人から言われると、んなわけねーじゃんぐちゃぐちゃだぜっ?という気持ちになる。
これでは支える側にはなれない。しかし支えられる側にもなりきれない。助け合いをセットするにもためらいがある。おまけにこっちだって時間の制約がある。最近のハンモンです。地域で支え合うといって、その担い手はだれなんだ。私(たち)であるべきなのか?どうなのか?
そんなこんなの中で、ちょっとー保育充実させてぇや、とオカミに訴える活動が、どれだけ実を結びうるのか。大事なのは、オカミに訴えつつ、うちらで何ができるかという具体的な話を考えて行くことではないかと…。
ちょっと最近、同志を確認しつつも具体的なところで同志パワーを結集させれないってあたりで悩んでいるので…。
署名しましたよもちろん、周りにお願いもしました。が、大事なところに触れずにすむ相手にだけお願いした気がします。これじゃいけないんだと思いつつ。
最近じつはとっても悩んでいます。けど悩みを解決するべく動く時間がない。でもこの気持ちをなんとか形にしたくて、ぐちゃぐちゃいびつですが書いてみました。言葉足らずご容赦。あらあらもうこんな時間。でわ。