まりにっき

まりにっき、お引っ越し。

高橋哲哉講演会

 19日には「平和のための信州・戦争展」を見に行った。ピースライブで、るらがよくお世話になる小児科のセンセイがギター弾いて歌っていて、ねえ「さとうきび畑」があんなにいい曲だったなんて、知らなかったよ。るら、スタンディングオベーション
 高橋哲哉講演会、絶妙のタイミングでるらがお昼寝したので、子守唄もしくは睡眠学習。おっとやばい私まで睡眠学習してしまった。
 だんなが「自衛隊はほんとーに、国民を守る気ないんだー」と感想を述べていたので、少し書き付けてみる。
講演資料に入っていた文献コピーより。

 今でも自衛隊は国民の生命、財産を守るものだと誤解している人が多い。政治家やマスコミも往々この言葉を使う。しかし国民の生命、身体、財産を守るのは警察の使命(警察法)であって、武装集団たる自衛隊の任務ではない。自衛隊は「国の独立と平和を守る」(自衛隊法)のである。この場合の「国」とは、わが国の歴史、伝統に基づく固有の文化、長い年月の間に醸成された国柄、天皇制を中心とする一体感を享有する民族、家族意識である。決して個々の国民を意味しない。もし個々の国民を指すとすると、自衛官も守られるべき国民であるから、生命を犠牲にすることは大きな矛盾である。
栗栖弘臣『日本国防軍を創設せよ』小学館文庫、2000年)

 ほんとだ。自衛隊は国民を守る気ナッシングだ。どえーすげえ。元自衛隊制服組トップでっせ、間違いないな。信じたぜ。ちょっとちょっと、政治家のみなさん、マスコミのみなさん、誤解を招くような表現をやめてくださいっ。もしもの時に守ってくれるんじゃないかと期待してしまうではないか。
 …では自衛隊はどうおっしゃっているか。自衛隊サイトへゴー!


陸上自衛隊ホームページをごらんください。
いたるところにキャッチコピー。


守りたい人がいる 陸上自衛隊


ええええ?
だれよー守りたい「人」って。だめじゃんっうそついちゃ。ちょっとー栗栖さん、後輩の指導ちゃんとしてよー、クレームちゃんとつけなよー、方向間違ってるよー。


 「国民全部が国を守るのだ」「90人が助かるなら10人の犠牲はやむをえない」というようなことを、シラフで言えるってのはちょっと私の想像をこえる。ヨッピャラッテ人前で言えるってのは相当想像をこえる。つまりどうやったって想像が追いつかない。でもそんな私の存在は、きっと誰かの想像をこえている。想像が追いつかないところで、それでもなんとか向き合って生きなければ。ざっくり斬ってちゃかなしいし。斬られてちゃかなしいし。