まりにっき

まりにっき、お引っ越し。

カラオケ話のつづき

カラオケ文化が死んだとか生きてるとか言ってた話のつづき。
ママ友が、こないだ家族でカラオケに行ってね、という話をしてくれたので、やっぱり文化は生きてるんだ〜と、しばしおしゃべり。
るらくんは歌と踊りが好きだからきっと楽しいよ、いっぺん行ってみなよ〜という話になって、かなり乗り気。
わたあめとかソフトクリームとか、自分で作れるのよ、るらくんなんかきっともう張り切っちゃうよ、なんてダメ押しも。(私が張り切るわ)


コムロさんが話題になって(話題というか、なんというか…)80's〜90'sを思い出したころから、うずうずとカラオケのことを考えているのだけど、
むかしむかし、オンチのくせにカラオケが大好きで、歌いたくてしょーがなかった時期があった、最近ふっと、あの頃何を求めていたのかというのを、思い出した。
コムロさんとハモりたかったんだわ。
あのね、あの声を聞くと、私は胸が苦しくなるのです。これはもう、今でもそうなんだった。胸が苦しくなる。発声法が苦しそう?…そゆことか。いや違くって、たぶん。
それで曲を聴いては心の中でコムロさんとハモっていた。おーー、若さって恥ずかしい。それでは飽き足らず、メインの声を私が担当することによって、完全にコムロさんと私がハモる…→その手段としての、カラオケ。若さって恥ずかしいです。
しかし残念ながら、カラオケボックスで流れるそれは、コムロさんとは似てるようで似つかない正体不明の声(声の主ごめん)、歌声は似てるようで似つかない音程の声(…あたしだよ)、幻想が崩れる。崩れるのを抑えるためにはフィクションを重ねなければならない。
…なんや、曲を聴いてる時と、フィクション構築、方法が少し違うだけで、基本いっしょやんか。
だったら、きちんと編集された曲を聴いてるほうが、ええねえ。聴き心地はいいもんねえ。


みたいなことを言っていたら、結局カラオケ行かせてもらえないので、こどもむけの歌を練習して、るらくん連れて行く。ソフトクリーム作りたいもん。…あれ、趣旨がかわってきている??