まりにっき

まりにっき、お引っ越し。

運気が落ちている、みたいな

歯痛の話を続けてもしょうもないけど、さらっと触れておくと、ドライソケットを疑われるもそれはどうやら潔白、痛いのは親知らずの前の歯ではないかという話になり、そこも治療することになった。根管治療なので神経とさようなら、これがまた、別れ際痛いんだよね。というわけでまだ、鎮痛剤づけの日々は続く。
問題は痛みそのものよりも、気持ちがダウンしていることである。すべてにおいてマイナス指向の日々が続く。寒くなってきた部屋で、冷え症になってきた私が、うつうつと引きこもる。仕事をしなければと思うが、集中できない。家事をしなければと思うが、やる気がしない。家族の衣食住を保つことでいっぱいいっぱい。部屋は一気にカオス状態。
そのよーな状況であるから、ちょっとしたやりとりの行き違いが、とても気にかかる。それを解きほぐすべく井戸端までおしゃべりに行く気力もない(井戸じゃないけど)。うつうつと気にする。
なんだかとても、うまくいかない。
この状態を、運気が落ちている、と表現してみる。なんと便利な言葉だろう。歯痛も、手指のあかぎれも、冷え症も、カオスも、ぜんぶ説明がついてしまう。このままではいけない、運気をあげなければ。
お祓い?お参り?お祈り?風水?あーーもう、なんでもこい、運気をあげるのじゃ。
かっかっかっか、と、ダンナが笑っていた。いやー、人間、健康が第一ですなと。
歯痛レベルでここまでいくのだから、もっと不運が続けば、あやしい勧誘なんて一発KOである。壺なんか即購入するかもしれない。スピリチュアルにもっていけばたいていの事柄は簡単に説明できてしまうという、おそろしさ。私たちは、簡単に説明しないために、ものを考え、そのうえでやはり説明をしたい欲望をもっているのではなかったか。みたいな欲望を簡単に打ち砕くほど、肉体の痛みは、重大である。それがただの歯痛であっても。(おおげさ)
運気を上げるとゆーか体温上げなよ、手足を温めたりマッサージでもして肩こりほぐせば、気分アップすると思うよー。ダンナはいう。実はその方がいいと、私も思う。お祓いは肩こりをほぐしてくれない。お参りは体を温めてはくれない(新年の一番乗りはあたたまりそうだが)。壺はふところまで冷やしてくれる。うん、クイックマッサージでも行くか。