まりにっき

まりにっき、お引っ越し。

ふたたび国家論?

昔の「婦人之友」を少しコピーして集めてみた。
ちょっと読んでクラクラした。
戦時体制への向かい方が、ストレートすぎる。
転向でもなんでもない、まっしぐらだ。


…と他人事めいてる場合ではなく、
これはそのまんま、現代的問題でもあることに気づく。
平時において平和を構築する論理が、戦時において翼賛を構築する、ということ。
だからつまり、
平和主義者は翼賛体制に組み込まれる。
というか、
平和主義者がまさに、翼賛体制を担うのかも。


さて、うちの師匠が、ある時期以降、明らかに国民国家論にイラついていて、
では国民国家に回収されないやり方はありえたのか、という問いを、
院生たちにも繰り返しつきつけてきたし、みずからも考えていたのだけど、
国民国家に回収されないやり方なんか、ありえないんじゃないか。
ちょっとそんなふうに最近思っている。
すくなくとも、真剣にものを考え動けば動くほど、はまるわ、という感じがする。
でも、考えないで生きるといつのまにかやっぱり取りこまれているので…。


私(たち)は、すくなくとも歴史に学ぶことができるので、
過去の問題とほぼ同じ構図を、突き進んでいるのだな、と思うことができる。
それはできるのだけど、動きを止める術を知らない。
あーあ、しらねーよ、とか思っているのでは、たいへん性質が悪い。
やはり真剣にものを考え動いていくことをやめてはいけないと思う。
この、いま考えていることは、回収されないものでありたいと思う。


あーーーー、もういちど国家論にいくのかなーーー。
あたし哲学とか思想書読めないから、いきたくないんだけどなーーー。