まりにっき

まりにっき、お引っ越し。

哲学書が読めないことについて

白いお城と花咲く野原―現代日本の思想の全景

白いお城と花咲く野原―現代日本の思想の全景

んー残念。本の表紙写真はないのね。
私はお風呂にひとりで入る時、読書をします。
その日の気分によって、カタログ持ち込んだり、マンガ持ち込んだりいろいろだけど、
時々、しっとりと心にしみいるものを読みたくなる、
そんな時は、これか、藤井貞和湾岸戦争論』をえらぶ。


これは、1985‐86年の、朝日新聞の論壇時評の文章を集めたもの。
私が読んだのは、その10年後くらい?
当時一緒にアルバイトしていたひとたち(複数)につよくつよーく勧められて。
そのひとたちは、ものを考えたり書いたりすることが大好きなひとたちだったので、
手紙をもらったり、書いたものを見せてもらったりしたけど、
文体がすごく見田さんだった。
話し口調が村上春樹さん(の初期の小説に出てくる人物)だった。
伝染力があるんだね、こうゆう、余韻のある言葉づかいは。


そういえばなんで、見田さんファンのひとの口調が村上春樹だったんだろう?
…という問いには答えにならないけど、ちょっと引用してみる。
見田さんによる、『世界の終りとハードボイルドワンダーランド』のラスト紹介。

「影」はいっしょにこの街を脱出しようと「僕」にいう。「僕」は拒否する。「影」はひとりで「たまり」に身を投げて消滅していく。沈黙する埴谷雄高のように。影を失った「僕」は世界の終わりに生きのびる。戦中派がじぶんの影を切り捨てる時のようにいらだちながらではなく、戦無派のようにやさしく、そしてつめたく。「君には悪いけれど」と言いながら。(別れの洗練を身につけた世代。)
   「週末のような終末」―軽やかな幸福と不幸― 152ページ

すらりとスマートじゃないすか。( )の中とか。ひらがな使いとか。
いつもこういうディテイルに酔う。
それとともに、書き手の真摯な問題意識に引き込まれて、考え込む。
しっとりと時間がすぎる。(ノボセル…(*_*;


ところで、私には哲学書や思想書が読めない。
読み方がわからないのよー(=_=)
少なくとも、「大事なところに線をひき、繰り返し読んで覚えましょう」が間違っていることはわかる。
四書五経のように(教育勅語のように)ひたすら暗誦しましょう」も間違っていることはわかる。
では、どうやって読むのだーーー??


うちのダンナは、少年のころにマンガを読み過ぎて、読み飽きてしまい、
長年読まなくなった結果、今じゃ読み方がわからないと言っている。
そのダンナが、見田さんの文章は読みにくいですと言っていた。
私は、見田さんの文章は大多数読みにくいけれど、この『白いお城と花咲く野原』は読める。
読めるというか…酔うように、身にしみるように、感情を揺さぶられる。
あ、これだ、これ。
読めるというのは、大事なところに線をひきながら読みこなすことではなく、
会話のはしばしに「○○によればこれこれ」と正確に引用できることでもなく、
揺さぶられることができるかどうか、ってことなのね。


そうすれば、哲学書(の中でも特に、学問的にmust readとされているもの)が読めるかどうか…というのは、
ちょっともう、単純な能力の問題というよりは、感性というか性向というか、好みの問題じゃないかー?
なーんだ。
と、とりあえず自分の限界をポジティブに受けとめてみる。


あ…肝心の、見田さんの本から何をいま感じとったかっていう話ですが。
こどもが夜中なのにむくっと起きたので、また今度(*_*)