まりにっき

まりにっき、お引っ越し。

科学的思考について

一家そろっての出張帰りで疲れました。とても疲れました。
カラダにガタがきています。ガラダ、って感じ。
だからいつも以上に話が散漫ですがご容赦を。
私はどうも書き言葉にひらがなが多いですが、じつは話し言葉もひらがなが多いです。
なので時々、偉そうなのが好きな人に「啓蒙してあげるん(^^♪」な話し方をされます。
「啓蒙はいやん(^_^;)」くらいの応答を心がけていますが、
時々「がうっ(-_-メ)」となっちゃって、逆上させたりすんの。あーあ。
感覚重視で生きているっぽくみられて、非科学的に思われがちです。
確かに、科学的思考、よくわかりません。
というか、科学的という言葉に、ひとがどれほどの意味を含ませたいのかが、
よくわかりません。
それは科学的に処理するには限界だろう、と思う領域があります。
そこから先は、たとえば倫理的な領域だろう、という。
そんなときは、潔く倫理的な思考にゆだねることが科学的でしょと思うんです。
証拠を出せとか数字をよめとか、いつまでもぐだぐだ言わない。
科学的思考にそこまで拘泥しないという点で、
私は非科学的であるような気もするし、
じゅうぶんに科学的であるような気もする。
少なくとも、領域をこえて科学をふりかざすのよりは科学的だと思う。
原発とかのことで、賢明でありたいならしゃべらない方がいいと言ったのは、
そういうことです。もはや科学的なんちゃらの領域ではない部分。
でも一方で、私はバカなのでしゃべらずにいられないと言ったのは、
科学的領域をこえる部分について、非科学的に何かを言わずにいられないという、
そういうことです。
勝手にせよ、ではなくて、科学的思考を手放すことなしに、
しかし科学的思考をこえる部分についても、何かしらを思うこと、
じゅうぶんに可能だし、もはやアリーナはそういうところではないでしょうか??
これ以上は…ガラダなのでね、展開できません。
それにしてもさ、やっぱりひらがなが多いでしょう?